予習よりも復習に力を入れるべし

みなさんが中学生・高校生である場合、授業の予習をどの程度行っていますか? 「えっ?英語の授業で予習をやらないなんてことがあるの? そんなことをしたら先生に叱られてしまう」という人もいるかもしれません。いや、そういう人の方が多いかもしれませんね。なぜかと言うと、昔から予習をどのようにしたらいいかということは英語学習のアドバイスとしていろいろな教育雑誌や本で取り上げられてきましたし、筆者が5年前(2014年度)から指導してきた『英語科指導法』を授業する大学生も、多くが「自分が教師になったら、予習をさせる」と答えていることから考えて、中学校や高校の英語の授業で予習を行うことはごく当たり前の勉強法となっているようだからです。

 

しかし、一方で昔から英語学習で最も大切なことは、習ったことを忘れずにいることと習ったことを実際に使ってみて身に付けることである、つまり復習をしっかり行うことだと言われています。それは、英語は以前に習ったことをベースにその上に新しいことを積み上げていくことで力をつけていく教科だからです。その例えとして、「中一の最初に習うことは、建物で言えば『土台』である。その土台がしっかりしていないと、その後に学習する『柱』を建てても、すぐに崩れてしまう」とよく言われます。

 

もう少し噛み砕いて言うと、中一の最初に習うごく簡単な英文の意味や使い方がわかっていなかったら、その後に習う少し複雑な英文はよく理解できません。中一の最初の頃に出てくる重要な単語(動詞等)の意味や使い方がわかっていなかったら、徐々に増えてくる教科書の本文も意味のわからない単語だらけの文章になって、読む気もなくなってきてしまいます。そうなると、英語学習そのものに対する意欲も無くなってしまいます。

 

筆者の長年の経験では、そのようになってしまった生徒のほとんどが、「復習」をきちんとやっていない生徒だということがわかっています。逆に、英語が得意になった生徒は、「復習」をきちんとやって、学習したことを忘れないようにしているということもわかっています。その積み重ねが確かな力になっているのです。

 

「復習の大切さはわかりました。でも、だからと言って、予習をしなくていいということにはなりませんよね」という声が聞こえてきそうです。確かに、筆者が指導する生徒の中にも、「予習をした方がいいと思っているので、予習はしています」と言う生徒もいますので、その方法自体を否定するつもりはありません。ただ、英語は習ったことを忘れないように、そして実際に使えるように復習することが大切であるということと天秤にかけた場合、予習に割く時間と労力がもったいないということをお伝えしたいのです。さらに、中学生や高校生であるみなさんは、英語だけでなく全教科の勉強をしなければなりませんので、英語の勉強に割く時間も限られていると思います。その限られた時間の中で、復習に割くべき時間を予習に取られてしまったら、授業で学んだことが身につかなくなってしまう可能性が大きいのです。

 

ここまで言っても、「そうは言っても、予習をすることで英語の授業を楽に受けられています」と言う人もいるかもしれません。でも、ちょっと待ってください。確かに、予習をすることで授業を受けるのが楽になるかもしれません。でも、その授業を受けただけで本当に英語の力がついているのでしょうか?授業を楽に受けたという満足感があるだけで、その授業が終わったら、あるいは翌日になったら、授業で習ったことを忘れてしまっていないでしょうか。予習をやったことで満足してしまっている生徒の一番怖いところは、本当に自分の力が高まっているかということに無頓着になってしまいがちなところです。

 

もちろん、筆者の授業は予習を前提としない内容となっており、基本的に生徒は予習はしていません(先述のとおり、予習をしている生徒も若干いますが、それはこちらが強制しているのではなく、自主的に行っているだけです)。しかし、復習の大切さは何度も指導し、課題も与え、自分で考えて行う復習や発展学習のやり方も教えて奨励していますので、生徒は大変高い英語力を身につけています。具体的な数字は出しませんが、毎年行われる「文部科学省全国学力調査」でも、筆者の学校の生徒は英語で全国平均よりかなり高い点数を取っており、それは予習を前提としない授業をきちんと受け、自分で復習をしっかり行っているからだということが、生徒のアンケートからもわかっています。他教科と比べても英語の勉強(復習)に費やす時間が長く、そのことが結果に表れていると考えています。

 

最後に確認です。実は、タイトルでも予習は否定していません。予習をするより復習に力を入れた方がいいと言っているのです。もし、読者の方が今予習だけをやっていて、復習をほとんどやっていない人であるなら、即刻それを改めることをお勧めします。それが、ここまでこの記事を読んでくれた方への筆者の誠意だと思っているからです。

 

なお、その筆者の学校の生徒の予習と復習に対する実際の声(録音された音声を書き起こしたもの)を、以下の「英語教師の方々へ」の後半部分に取り上げていますので、興味のある人は読んでみてください。

 

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◇英語教師の方々へ

ここまでの話を読んで、英語教師の方々の中には反発なさる先生もいらっしゃると思います。「自分の生徒は自分で予習することで力を付けている」とか、「予習をさせることで、授業への集中力が高まっている」と主張されたいのだと思います。上記にもあるとおり、筆者は予習そのものを否定はしていません。生徒の中にはその勉強法が合っていると思っている生徒もいるからです。しかし、一方で授業をする側の心構えとして、予習をさせることによる「隙」ができることもあるということもお伝えしたいと思います。

 

「予習をするのは当たり前だという生徒が多い」という主旨のことを書きました。この状況を作ってきたのは、他ならぬ英語教師です。筆者がこれまでに担当した研修会や講習会でたずねたところ、比較的多くの先生が、「毎時間、新出単語の意味は調べてきなさい」とか「毎時間、新出単語はあらかじめ10回書く練習をしてきなさい」という予習課題を出していると言います。中には、「次のページの本文の日本語訳を書いてきなさい」という予習を出す先生もいるそうです。そのような指導が毎時間されていれば、生徒は予習をしてくるのが当然と思うでしょう。

 

その予習を前提とする授業を、学習者の立場ではなく、授業作りをする教師の立場から見てみます。

 

例えば、単語の意味をあらかじめ予習させる先生の授業では、「〇〇さん、(単語)の意味を言ってください」という場面がきっとあるのだと思います。あるいは、意味はすでにわかっていることを前提にして他のことをやっているのかもしれません。いずれも、いちいち単語の意味を教師が導入している時間はもったいないからでしょう。しかし、そのような時間がかかりそうな導入も、英語を聞いて理解する場面、すなわちリスニング教材にしてしまえば、「もったいない」時間にはならないと思います。むしろ、生徒と教師の間にできるせっかくの教材をみすみす見逃してしまっていることになります。

 

さらに、本文の日本語訳を予習に課している先生の授業では、いったい生徒に何を教えているのか疑問です。それは、英語の授業でもっとも大切な部分をあらかじめ生徒にやらせているからです。そのような授業の予想される展開は、「〇〇君、3行目の英文の意味を言ってごらん」という「訳読式」だと思います。生徒に英文を訳させ、先生はその解説を行っていくという授業は、一見すると「受験対策」を考えた丁寧な指導を行っている授業のように見えますが、生徒側からすれば、先生の授業から学べることはほとんどありません。先生が丁寧に解説しているつもりのことは、ほとんど参考書に書いてありますし、塾に行っている生徒はすでに知っているのです。

 

生徒にこのような予習をさせることの裏には、教師の「それを利用して解説を加えればいいから、あらかじめ授業の準備をしなくても済む」という思惑が見え隠れします。つまり、授業の準備を手抜きするということです。鋭い生徒はそのような教師の「手抜き」を見抜きます。そして、結果的に「この先生の授業は聞いても学ぶことがない」と思うので、授業に参加しなくなります。もちろん、予習をさせて浮いた時間に、言語活動(コミュニケーション活動)を行ったり、発展的な学習活動(例えば、題材を利用した調べ学習)などを行ったりしているという先生の授業ではこういうことはないと思いますが…。

 

最後に、筆者の生徒が「予習」についてどう考えているかがわかる生の声をご紹介します。それは、筆者が学級担任をしていたときの実践である「終礼の話」の一話の中で語られているものです。実際の録音音声から書き起こしたもので、一切の修正も加えられていないものです。筆者の生徒なので、当然筆者の指導方針が当然だと思っている生徒ばかりかもしれませんが、生徒の本音がわかるものとしてお読みになってください。実際の録音音声を聞くとよりリアルな気持ちがわかりますが、個人情報の問題もあるので、紙面の記録だけでご了承ください。特設の「予習は必要か?-生徒の名前の声-」という別ページに飛びます。

 

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