還暦

すでにどこかでつぶやいていると思いますが、筆者は今年還暦を迎えます。実は、すでに先日その日を迎えました。「還暦」を英和事典で調べると、"sixtieth birthday" と出てくるので、英語に特別な語はないようです。まあ、還暦とは「干支(十支十二支が一巡し誕生年の干支に還ること」(Wikipedia)ということですから、それにあたる英単語がないのは当たり前ですが…。

 

60歳になるというのは若い人には想像できないことだと思います。筆者もかつてはそうでしたから。自分の両親が還暦を迎えたのを子供としてもしみじみと感じたことを覚えています。その歳に自分もなろうとは…。約30年前に63歳で亡くなった父は60歳の定年を待たずに1年前に退職しましたから、その時の父を越えてしまったと考えると感慨もひとしおです。

 

さて、そんな筆者が運営している本ホームページもほんの少しずつですが認知度が上がってきているようで、Google Analytics のアクセス者数にそれが現れています。昨年の5月に達成した月間の最高記録に迫る人数が記録されました。昨年は緊急事態宣言中の“巣籠もり受容”で多くのアクセスをいただいたのだと思いますが、今回はほぼ通常の状況下での数ですので、実情に合った数字かと思っています。

 

話が少し飛びますが、儒教の創始者である孔子(英語では Confucius)が亡くなった後に弟子たちが編纂した『論語』という書物の中に、孔子のことばとして次のような一節があるのをご存じだと思います。

 

「吾、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども、のりをこえず。」

 

自分がそれぞれの年代になったときに、「果たして自分はその域に達しているだろうか?」と自分を見つめるためのことばとしてしばしば引用されますね。それによれば、筆者の場合は「耳順う(したがう)」が該当します。

 

「耳順う」とは、修行がますます進むことで、耳にしたことが理屈に合えばそれをそのまま理解し、他の人のことばを自然に受け入れることができるようになることを意味しているそうです。では、はたして筆者がそのような境地に達しているかと言えば、はなはだ疑わしいと言わざるを得ません(汗)。なぜなら、若い頃よりは周りのことを素直に受け入れることができるようになったとはいえ(若い頃はかなり"とんがって"いましたから…)、まだまだ自分本位な面がかなり強いと感じているからです。

 

ところで、上記の論語の一節が英訳されるとどうなるでしょうか。中国語学者(sinologist)の劉殿爵(D.C. Lau)の訳は以下のようになっています。

 

The Master said, "At fifteen I set my heart on learning; at thirty I took my stand; at forty I came to be free from doubts; at fifty I understood the Decree of Heaven; at sixty my ear was attuned; at seventy I followed my heart's desire without overstepping the line."

 

なるほど。原文の意味をなんとか伝えようとしているのがわかりますね。なお、attune とは「調子を合わせる」という動詞です。

 

さて、さて。これからまず来年の3月に定年退職するまでにはもう少し「耳順う」自分になっていなければと思う今日この頃です。(6/5/2021)

 

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