0. イントロダクション
シリーズ「~と‥は交換してはいけない」の第4弾です。今回も受験勉強ではごく当たり前のように交換していることを取り上げます。まずは次のような問題を見てみましょう。
(問)次の能動態の文を同じ意味の受動態の文に書き替えなさい。
Natsume Soseki wrote Botchan in 1906.
多くの人が、「はは~ん、Botchan を主語にして「~された」という文にすればいいんだな」と考えて、次のような文に書き換えるでしょう。
Botchan was written by Natsume Soseki in 1906.
この問いに対する答えはこれで正解です。それは誰も疑わないでしょう。しかし、この問いの指示にある「同じ意味の‥」というのは本当でしょうか?
本シリーズの過去のページでも「同じ意味ではない」と述べてきたので、みなさんも結論はおわかりだと思います。そうです。この、私たちの多くの、いやほとんどの人が、ごく当たり前のように“たすき掛け”のように行ってきた能動態と受動態の書き換えは、「同じ意味の‥」という観点ではけっして行ってはいけないことなのです。
ただ、では「能動態の文と受動態の文はどのように使い分けたらいいのか」という問いに、みなさんは自信をもって答えられるでしょうか? 今回はこの点を取り上げます。ちなみに、ここでいう「使い分け」とは、「能動態は『~する』という意味のときに使い、受動態は『~される』という意味のときに使います」というレベルのものではありません。
1. 英文の中の最も重要な情報がある場所
能動態と受動態のちがいについて述べる前に、英文の一般的な特徴(傾向)について議論しましょう。
日本語と英語のちがいを述べる時に、よく「英語は結論が先に来る」という言い方をします。本ホームページの他の項目のところでも、そのような視点から英語の文の構造や表現の特徴などを述べているコーナーがあります。ただ、1つの英文の中に相手に伝えたい情報がいくつかある時は、重要な情報ほど後から出てくるというのもまた事実です。つまり、大切な情報ほど最後までとっておいて、最後まで聞かせて(読ませて)、相手に「なるほど‥」とか「そうだったのか‥」とか思わせるように英文を作る傾向があるのです。
このように、大切な情報を英文の後ろの方にもってくることを「エンド・フォーカス」と言います。これは「後ろにある情報に注目する」ということです。
このような手法は、特に相手を驚かせたり笑わせたりする内容を含む時に多く使われます。なぜかと言えば、自分が話している途中で驚かれたり笑われたりしたらつまらないからです。そのような内容の時には、最後まで聞いて驚いたり笑ったりして欲しいですよね。このタイミングの取り方が難しいのが外国映画の字幕です。原語(例えば英語)では最後まで聞いて「落ち」がある文なのに、日本語字幕でそれが先に出てしまって、台詞を最後まで聞かないうちに観客が驚いたり笑ったりしてしまうということが時々あります。
2. 能動態の文と受動態の文が伝えたい内容
では、上記のような基本を踏まえた上で、能動態の文と受動態の文がそれぞれ特に伝えたい内容は何なのかということを改めて見てみましょう。
① Natsume Soseki wrote Botchan in 1906.
② Botchan was written by Natsume Soseki in 1906.
①、②の文ともに、「夏目漱石」、「書いた/書かれた」、「『坊っちゃん』」、「1906年」という4つの情報があります。しかし、①と②では情報が出てくる順序がちがうので、そのちがいが伝えたい情報の重要度を変えているのです。もちろん、後ろに来る情報の方が重要な情報となります。
①は、夏目漱石という著者名よりも『坊っちゃん』という書名や「1906年」という発行年の方が重要な情報です。つまり、この文は夏目漱石の数ある著書を紹介する時に使う文です。この後に続く文があるとしたら、He wrote Sorekara in 1909, Kokoro in 1914, ....などと作品名と発行年を紹介する文がその候補でしょう。
②は、『坊っちゃん』という作品名よりも「夏目漱石」という著者名や「1906年」という発行年の方が重要な情報です。つまり、この文は Botchan という作品の紹介が先にあって、その本の著者は Natsume Soseki であるということを後から紹介する時に使う文です。著書名と作者名の関係性について強調したい時に使われるので、これに続く文としては、Hakai was written by Shimazaki Toson in 1906, the same year as Botchan (was written) by Natsume Soseki. などが考えられます。
3. よくあるまちがい
文法を扱う問題集等では、受動態の形をマスターするために、先述の“たすき掛け”方式の訓練をさせることが多いので、能動態の文と受動態の文を「同じ意味」の文だと思ってしまいがちです。そうすると、本来は能動態で書けば済む内容をわざわざ受動態で書いたことによって、変な英文になってしまうことがあります。
例えば、English is spoken by many people in the world. という文があるからといって、English is spoken by me at home. などという文を書いてはダメです。これではまるで家で英語を話す自分が特殊な存在であるかのような意味になってしまいます。それは、by me at home という部分にフォーカスが当たるからです。ここは能動態で I speak English at home. とすべきです。
4. 結論
以上のように、たとえ同じ情報が入っている文だとしても、能動態の文と受動態の文はけっして「同じ意味の文」ではありません。つまり、最終的に本コーナーを読んだみなさんにお伝えしたいのは次の2点です。
(1) 理解する際に
どちらの文で書かれているかで、その文の中の最も大切な情報はどれなのかを読み(聞き)取ってください。
(2) 表現する際に
自分で英文を書いたり言ったりする際には、どの情報を重要なものとして伝えたいかで能動態と受動態を使い分けてください。
いかがだったでしょうか? 能動態の文と受動態の文のちがいを理解していただいたでしょうか? これまで「同じ意味」の文だと思って書き換えをしてきた人には、「目から鱗が落ちる」思いをしていただけたと思います。
今回をもって、「~と‥は交換してはいけない」のシリーズはいったん終了します。