車の思い出③:ホンダ シティ・ターボ(CITY TURBO)

「車の思い出」シリーズ第3弾は、1980年代に一斉を風靡したモデルです。そして、今回のモデルが筆者にとって正真正銘の「私の車」となった第1号でした。 

 

【モデル概要】

シティ(CITY)は、1981年に発売された、1,200cc、3ア・ハッチバック・タイプの小型車です。70年代から同サイズの人気モデルであった「シビック(CIVIC)」が1,200ccから1,500ccのモデルに格上げされたことから、その位置を埋めるためのものとして開発されたものと思われます。しかし、シビックのように背の低いモデルではなく、背を高くすることで居住性と乗降性を良くしました。

 

 発売当初は1,200ccのノーマル・エンジンのスタンダード・モデルだけでしたが、すぐに今回紹介するターボ・モデルが発売されました。スタンダード・モデルとの外観上のちがいは、左右非対称のフロント・グリルに TURBO と書かれていること、ボンネットの上に“出っぱり”(パワー・バルジ)があることで、「こいつはターボ車だよ」と主張していました(写真参照)。価格はスタンダードより21万円高い109万円でした。なお、マイナー・チェンジ後は、ターボ・モデルは後に紹介する「ターボⅡ」へと進化し、オープンカーの「カブリオレ」も追加発売されました。

 

その後、1986年発売の2代目になって車高が低くなりましたが、シティのイメージとは異なっていたからか販売台数が低迷し、このモデルをもって国内販売は終了になりました。その立場は後に発売される「フィット」に引き継がれたと言っていいでしょう。その後、海外向けに1996年復活発売された3代目では4ドア・セダンのみとなり、以降はシティと言えば4ドア・セダンを指すようになりました。なお、現時点で東南アジア向けに販売されている新型シティがまもなく日本でも発売されるという噂もあり、5ドア・ハッチバックもラインアップされる可能性もあります。 

 

【購入動機】

自宅から25kmほどの離れた勤務校(県立高校)までは、電車だと片道2時間もかかるので、通勤にはどうしても車が必要でした。しかし、さすがに兄の車(スカイラインRS)を毎日使わせてもらうわけにはいかなかったので、すぐに自分の車が欲しいと思っていました。ところが、それよりも先に趣味のバイクを優先して、初任3ヶ月目に「ホンダ CB750F インテグラ」を買ってしまったので、車の方は新車を買う余裕がありませんでした。そうすると、軽自動車か小型車の中古車となるわけですが、バイクもずっとホンダ車でしたので、車もホンダ車にすることにしました。幸いにも中・高・大の親友でバイク仲間でもあったO君がホンダのディーラーに勤め始めていたので、彼に車探しをお願いすることにしました。

 

バイク乗りであった筆者にとって、車としても大事なのは加速感です。そうすると、候補は自然にシティ・ターボになりました。そこで、O君に「値段は80万円以内、色は赤、サンルーフ付きのターボの中古を探してほしい」と頼みました。そうしたところ、数日して「3年ものの中古で、走行距離35,000km程度の希望の車が見つかった」という連絡があり、実車を見て購入を即決しました。純正オプションのサンルーフ(チルト・タイプ)、アルミ・ホイール、4スピーカーのカー・ステレオ、エアコンが付いていました。また、ちょうど当時人気になりつつあったドア・ミラーに交換されていました。

 

【ドライブ・エピソード】

一人で遊びに行くのはバイクが中心で、車の方はもっぱら通勤のために使っていました。それでも、当時のガール・フレンドと富士山周辺や赤城山などへドライブに行ったり、同い年で幼馴染の従妹(女性)と東京ディズニーランドや筑波万博に行ったりしました。小回りがきいて、狭いところにも気兼ねなく入れるので、たいていのところには行けたように記憶しています。

 

アクシデントは2回ありました。一度目はパンクで、左側の前輪に釘が刺さってしまいました。幸いにもパンク修理材(穴を詰める部品と空気を入れる薬剤入り缶)を積んでいたので、それで直すことができました。二度目は事故で、右折しようとしていた前の車の左後ろで待っていたところ、急にその車の後退ランプがつきました。あわててクラクションを鳴らしましたが間に合わず、ガシャンとぶつけられてしまいました。どうやら右折位置を過ぎて止まってしまったことに気付いてバックしたようなのです。当然、前の車の保険で修理してもらいましたが、1週間程度使えなくて通勤に困りました(代車を貸してもらえませんでした)。

 

燃費は、片道25km程度の通勤で15km/lくらいで、長距離ドライブなら18~20km/lくらい。条件が良ければ22~23km/lはいったと記憶しています。馬力があったので、5速に入れるとかなり低回転で巡航できました(60km/hで1,500rpm)。なお、カタログ値は60kim/h定速燃費27km/l、10モード燃費18.6km/lと、当時の小型車としては良い方でした。 

 

【長所と短所】 ※写真はカタログより

長所は、何と言ってもその“爆発的”とも言える加速力です。スタートこそ普通ですが、ターボが聞き始めると、それこそ離陸時のジェット機のような加速をし、シートに体が張り付くようでした。感覚的には車というよりバイクに近く、バイクが高回転に入ったときに猛烈な加速をする感覚に似ていました。おそらくそれは、100psという馬力に加えて、車重が現在の軽自動車並みの750kgしかなかったからでしょう。今で言えば、軽自動車(50~60ps程度)に100psのエンジンが付いているようなものですから。

内装の中では、メーター回りが良かったです。中心にデジタルのスピード・メータがあり、それを取り囲むようにアナログのタコ・メーターがありました。そして何と言っても面白いのがデジタルのターボ・ゲージ(写真の左側)です。エンジンの回転が上がるにしたがって花が開くように増えていくその様は、体感と視覚が一致して、加速感が倍増されたように思います。

 

また、ターボ・モデル専用の固めのバケット・シートがおごられていたことも嬉しかったです。カーブで車体がロールしても身体をそれ以上に持っていかれるようなことはありませんでした。

 

短所は、安いモデルだけに内装が簡素(貧祖?)なことでしょうか。今では軽自動車でも当たり前になっている内側の総樹脂張りもドア・ハンドルの周辺に限られ、残りはほとんどボディ色に塗られた鉄板丸出しでした。その代わりに車重は現在の軽自動車くらいしかなく、ガラス・サンルーフ付きのターボでも約750kgでした。それ以外には、短所というべきことを今からでは思い出せません。

 

 

【お別れ】

通勤(片道25km)に使っていたこともあり、この車に乗り始めて4年ほど経った頃には走行距離が約85,000kmになってましたが、途中でクラッチ・ワイヤーが伸び切って交換したくらいは、ノー・トラブルでした。まだまだ乗る気でいたのですが、新任4年目に移動した国立大学の附属中学校は結構保守的で、筆者が赤い車に乗っていることを心良く思わない先輩教員もいたので、色が落ち着いていて、スタイルが洗練されている上級車に乗り換えることにしました。それが次に紹介する「ホンダ プレリュード 2000Si」(ガンメタリック・シルバー)ですが、下取り車として(ただし、0円であったように記憶しています)シティを引き取ってもらいました。

 

 

なお、筆者のシティの写真(プリント)が「バイクの思い出⑥:ハーレー・ダビッドソン FXST ソフテイル」に使った左の写真以外が現時点で見つかっていません(汗)。見つかり次第、アップしたいと思います。

 

 その代わり、以下に上記では紹介しきれなかったカタログに掲載されている写真をいくつかピックアップして解説も加えておきます。

【カタログより】


最初のシティ(スタンダード・モデル)のCMは、一人の外国人が「シティ…イン、シティ」とささやくことから始まり、数人が膝を曲げた状態で1列に並んでムカデダンスをしながら「ホンダ、ホンダ、ホンダ、ホンダ」とテーマ曲(マッドネスというイギリスのバンドの "In the City")を歌う斬新なもので、大変な人気になりました(筆者も大学の仲間とそのムカデダンスをよく真似していました)。続くターボ・モデルのCMは、同じテイストで「ターボ…シティ、ターボ」と始まり、それに「アチョー!」(ブルース・リーの叫び声の物まね)という叫び声とともに空手(カンフー)をするシーンが展開されたと記憶しています。上の写真はちょうどそのカンフー・スタイルのものです。

※上の写真2枚でカタログの見開き写真です。1ページずつスキャンしたので分割されています。

 

エンジンのカット・イラストです。

 

当時はまだ多くの車がエンジンへのガソリン供給を機械式のキャブレターを使って行っていましたが、ターボ・モデルでは電気式のフューエル・インジェクションが採用されました。ホンダではこれを "PGM-FI"(Programmed Fuel Injection の略)と呼んでいました。おかげで、エンジンをかけた直後でも暖機運転(エンジンを少し温める)をせずにスムーズに走ることができました。

リア・ビューです。

 

スタンダード・モデルにはない電動式リア・ワイパーが付いていました。


こちらはターボ車専用のアルミ・ホイールで、オプション設定でした。

 

サイズは12インチで、165/70HR12のラジアル・タイヤをはいていました。

 

【初代シティのバリエーション】 ※写真はネットより

こちらはスタンダード・モデルです。そのスタイルから、当時は「トール・ボーイ」の愛称で売られていました。価格は当時としても安い方で、88万円でした。

 

 

こちらはマイナー・チェンジ後に発売された「ターボⅡ」です。インタークーラー付ターボとすることで、初代のターボ・モデルに比べて10PSの出力アップとなりました。また、全体的にグラマラスなボディ形状にされており、パワー・バルジも大きくなっています。その姿から、「ブルドッグ」の愛称で売られていました。価格は120万円でした。

こちらは最後発のオープンカーです。ヨーロッパの同様モデルの呼称である「カブリオレ」(Cabriolet)という名称で売られていました。幌は手動式として、138万円というオープンカーとしては異例の低価格を実現しました。オープンカーは屋根がない分を他の箇所で強度を補わなければならないので、至る所に強化部品が組み込まれていたため、車重がかなり重くなりました。