車の思い出④:ホンダ プレリュード 2000Si(PRELUDE Si)

「車の思い出」シリーズ第4弾は、1970年代~90年代に起こった“スペシャルティカー(specialty car)”ブームの代表的な車の1つである、ホンダ プレリュードです。今回紹介するモデルは、その3代目のもので、同車種の中では最もグレードが上の 2000Si です。 

 

【モデル概要】

プレリュードは、ホンダの2ドア・クーペに対する新たな回答として1978年に登場したモデルです。初代は日本初の電動サンルーフを採用するなど装備が充実しており、「スペシャルティーカー」ということばを生み出した車と言われています。1982年に登場した2代目は、リトラクタブル・ライトの採用、日本初の4ABS(4輪アンチロック・ブレーキ・システム。ホンダでは"4ALB")の装備など、スペシャルティーカーとしての要素をさらに増して、大人気になりました。そして、今回紹介する3代目(1987年発売)は、世界初の4WS(4輪操舵システム)を採用するなどして、プレリュードの価値をさらに高めました。2代目と3代目は「デートカー」の代名詞的存在となり、若者を中心に絶大な人気を誇りました。(写真は今回紹介する3代目)

 

しかし、1991年に登場した4代目は、リトラクタブル・ライトをやめるなど、それまでの人気を支えてきたスタイルを変えたことや、発売時期がバブル崩壊と重なったこともあって人気が低迷し、1996年に登場した5代目も販売数は低調だったことから、2001年にこのモデルは廃止されました。しかし、2023年の東京モビリティショーで新しい「プレリュード」の発表があり、数年以内に再登場することが期待されています。 

初代プレリュード

2代目プレリュード


【購入エピソード】

前回紹介した「ホンダ シティ・ターボ」のところにも書きましたが、2校目に勤め始めたところで、より落ち着いた色の上級車を購入したくなっていました。その中では、以前から格好いいと思っていたプレリュードが第一候補でした。特に、3代目になってその流麗なスタイルにあこがれていたので、もうこれしかないという気持ちになっていました。同モデルには1800ccのモデルと2000ccのモデルがありましたが、どうせ買うなら最上級グレードのものにしようと思い、2000Si にねらいを定めました。しかし、それを新車で買うとなると諸経費込みで250万円を超えてしまうので、程度のよい中古車を探すことにしました。そこで、シティのときにもお世話になった友人のO君に「走行距離の少ないガンメタ・シルバーのSiを探してほしい」と頼んでおいたところ、しばらくして「新車登録後3ヶ月、走行距離1,000kmの上物が見つかった」という知らせが来て、それを地元のホンダ中古車販売店に移送してもらって見せてもらい、その場で購入を決めました。確か、1989年の秋であったと思います。

 

【ドライブ・エピソード】

この車を購入したのが、後に妻となる女性と知り合う少し前であったので、彼女とのドライブ、結婚してから長女が生まれてしばらくの間までの日常生活やドライブなどに大いに使わせてもらいました。思い出に残っているドライブの1つは、結婚して数ヶ月後に妻と長野方面を2泊3日のドライブに行ったときのことです。そのうちの1泊は、「車で行ける日本で一番高い場所」と言われる乗鞍岳の駐車場に車中泊して、夜空の星を楽しみました。もう1つは、3歳の娘も連れて北海道をドライブしたときのことです。この時は、新潟―小樽間を結ぶフェリーを往復使い、子供が途中で飽きたり熱を出したりすることも考えて、宿泊場所はその日その日に着いた場所で探す方法をとり、道央から道東にかけての大地をゆうゆうと走りました。 

 

【長所と短所】

 

長所は、何と言ってもそのスタイルの良さです。流れるようなラインとリトラクタブル・ライトが象徴する未来的なスタイルは、今の目で見ても素晴らしいと思います。聞くところによると、若い女性を中心にして、今の若者にもこの3代目のスタイルは「美しい」と映るようで、中古車がけっこうな高値で取引されているそうです。

 

写真(ネットから)はリトラクタブル・ライトを上げたところ

また、充実した装備も嬉しかったです。初代からある電動サンルーフや、オーディオ・コンポ、オート・クルーズ・コントロール、オート・エアコンなど、スペシャルティーカーとして満足のいくものでした。また、先述した世界初の4WSも大変便利で、当初こそハンドルを切ったときにお尻が反対方向へ振られるのが若干奇妙に感じられましたが、慣れたら気にならなくなり、交差点や狭い道で曲がるときに大きな威力を発揮してくれました。なお、プレリュードの4WSは図では右側の逆位相タイプです。

こちらは実際にハンドルを切ったときの前後両輪の動きがわかる写真です。

 

写真からもわかるとおり、後輪の動きはそれほど大きくないのですが、運転している者の感覚としてはかなり動いているように感じられました。

 

短所は、当時のホンダのオートマチック(ホンダマチック)は、加速時にもっさりとした重さがあって、せっかくのDOHC2000ccの魅力を出し切れていないことでした。むしろ、友人が持っていたマニュアル・シフトの1800XXの方が軽快に走ることができました。これは他のいくつかのホンダ車に乗ってみたときにも感じたことで、トヨタのオートマチック車の軽快な加速に比べると、明らかに劣っていたと思います。後のオデッセイや今乗っているヴェゼルではそういうことはないので、残念なことでした。

 

一度だけトラブルがありました。走行中にボルト・メーターの針が下がってきたのでおかしいなと思っていたら、交差点の真ん中でエンストしてしまいました。エンジンを再始動しようとしても、セル・スターターがウンともスンとも言いません。そこで外に出てドアを持って押し、周囲の人にも助けてもらって、なんとか交差点の外に出すことができました。原因はオルタネーター(交流発電機)の故障で、新品に交換するにはかなりの費用がかかるので、廃車になった同型車から取った中古品に交換してもらいました。

 

【お別れ】

この車には、次々回紹介する「ホンダ オデッセイ」に乗り換えるまでの12年間、約80,000km 乗りました。妻が度々ボティーをこすったり、2人目の子ができたりしたことで、日常生活は次回紹介する「日産 マーチ」に譲り、この車はもっぱら筆者の通勤用となっていました。しかし、さすがに古くなってきたことや、やはり車を2台所有する余裕はなかったことなどから、ミニバンに乗り換えることになり、マーチとともにオデッセイの下取りとして出してしまいました。それですっかりお別れだと思っていたのですが、なんと自宅から100mと離れていない小さな中古車販売店に我が家のプレリュードが中古車として展示されているのを発見し(ガンメタという珍しい色とボディの傷などからすぐにわかりました)、しばらくはその姿を奇妙な気持ちで眺めることになりました。

 

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(写真捜索中)

 

 

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