車の思い出①:日産 サニー・クーペ 1400SGX

「車の思い出」第1弾は、筆者が自動車の運転免許証を取って初めて乗った車です。だだし、筆者の7歳年上の兄の所有物で、正確には「私の」車ではありません。それでも初めて運転した車でしたから、思い出に残ることはいっぱいありました。 

 

【モデル概要】

今回紹介する日産自動車の「サニー」は、トヨタ自動車の「カローラ」とともに、一般的な日本人のカーライフを支えた小型車の中の「大衆車」として長らく人気を誇っていました。初期は両車ともエンジンの排気量が1000ccの4ドアセダン・タイプであったことは、両者がよく比べられる理由となりました。

 

ところが、トヨタがカローラをモデルチェンジした際にエンジンを1100ccとして、「プラス100ccの余裕」とサニーを意識したコマーシャル戦略をとると、日産はサニーを1200ccとして、「隣の車が小さく見えま〜す」というテレビコマーシャルを打ったりしました。その後も両社はそれぞれの車の車格を大きくしたり、内装を豪華にしたりして、互いをライバル視していました。そして、サニーは標準モデルの排気量が1400cc, 1500cc, 1600cc と拡大していき、1800cc のディーゼル・エンジンのモデルも出たりして、カローラとともに庶民のためのセダンの地位を得ました。また、スポーツ・モデルや屋根の後部をなだらかにしたクーペ・モデル(4ドア、2ドア)も用意されたことで、若者にもアピールできるモデルになりました。

 

しかし、1990年代にセダンタイプの車が少しずつ人気がなくなってくると、サニーにもその影響が出始めました。そして、2004年に9代目のモデルをもって、サニーの国内販売は中止されました(輸出モデルは11代目まで生産さていたようです)。一方のカローラは、販売台数こそ大幅に減らしながらも現在まで生産され続けています。

 

前置きが長くなりましたが、今回紹介するモデルは、1977年から1983年まで生産されたいた「4代目」モデル(B210型系)の2ドア・クーペ 1400SGX(上の写真のモデル)です。このモデルには他に、1400GX, 1400SGX-E(フューエル・インジェクション付)というグレードもありました。また、トランス・ミッションは4速タイプと5速タイプを注文時に選ぶことができ、兄の車は5速タイプでした。 

 

【購入・運転エピソード】

冒頭でお話ししたとおり、この車は7歳上の兄の車であるので、購入時にどのようなエピソードがあったかは覚えていません。しかし、両親が車の運転免許証を持っていなかったので、筆者の家にはそれまでずっと車がなく、兄が就職した翌年(=筆者は高校2年生)にこの車を新車で購入したときには、とても嬉しかったのを覚えています。そして、自分も大学1年生の冬に運転免許証を取得すると、免許証の交付日からこの車に乗り始めました。

 

実は、この車が我が家に来てから筆者が運転免許証を取るまでに約2年あったので、その間にこの車のことや運転技術を学ぶことができました。兄の運転で筆者が助手席に座っているときは、いつも兄の運転の様子を観察し、その技術を学ばせてもらいました。また、兄が車を使わない日は、自宅から300mくらい離れた駐車場においてある車のところまでキーを持って行って乗り込み、ライト類をつけたり、エンジンはかけずにギアの操作などをしたりして、この車を運転している自分の姿をイメージしたりしていました。

 

【ドライブ・エピソード】

自分が運転できるようになるまでは、よく兄にドライブに連れて行ってもらいました。両親も含めて4人で行くこともありましたが、多くの場合は2人でした。

 

最も思い出に残っているのは、開通して間もない東北自動車道を使って、下北半島の先端にある大間崎まで行ったことです。仙台から先はすでに夜になっていましたが、当時のこの区間には道路の照明がほとんどなく、試しに車のライトを切ると真っ暗になってしまったことをよく覚えています。このドライブでは、当然兄が往復ともすべて一人で運転したわけですが、車の中で仮眠しただけで往復1,600km以上の道のりを一人で走り切るという強行ツアーが可能であることを兄から学びました。この経験は、筆者が後にバイクで強行ツーリングをしたとき(「174. バイクの思い出④:ホンダ CB750F インテグラ」の「ツーリング・エピソード」参照」の動機付けの1つになっていたと思います。

 

自分が運転できるようになってからは、主に通学用にバイクと併用させてもらっていました。基本的に兄は電車通勤をしていたので、平日は筆者が自由にこの車を使えたからです。天気のいい日はバイク、雨や寒さが厳しい日は車、と使い分けさせてもらいました。また、大学の仲間と合宿に行ったり、旅行に行ったりするときにもこの車をよく利用しました。ただ、この車にはエアコンが付いていなかったので、夏場はほとんど使いませんでした。

 

【長所・短所】

長所としては、後には「スペシャリティー・カー」の代表格ともなるクーペ・タイプのハイグレード・モデルであったので、当時としては装備が大変充実していたことです。時間調節付間欠ワイパーやフォグライトも標準装備でした。また、5速ギアであったことから高速でもエンジン音がそれほどうるさくなく、燃費も通学で13~15km/l、長距離ドライブで15~18km/l くらいと、当時の車としては比較的よい方であったと思います。

 

短所としては、キャブレター方式のエンジンが特に冬場はかかってからしばらく暖機運転が必要なことでした(当時の車はほとんどがそうでしたが…)。暖機運転をせずにいきなり走り出すと、よくスコン、スコンとノッキングを起こしたものです。また、当時はボディーの剛性があまり高くなかったようで、先述した東北自動車動での走行中に1●0km/hまで出したときに、助手席のドアがガタガタとすごい音を出して揺れ始めたのにはとても驚きました。

 

【長所 or 短所?】

この車には、他の一般的な車にはない独特の機構が採用されていました。それは左の写真のような変速ギア用シフト・レバーの操作位置でした。これは「ヒューランド・パターン」と呼ばれるレーシング・モデル用のシフト位置で、普通は「1](1速)がある左上に「R」(後退)があるというものです。他の人が乗ったときはよく困惑していたことからは「短所」と考えられなくもありまえんが、慣れればこちらの方が運転しやすいと感じたという点では「長所」とも言える装備でした。

 

筆者がまだ運転免許証を持っていなかったとき、兄がシフト・レバーを左手の手の平で押すように1速に入れる動作と、手の平を上に向けて人差し指と中指にレバーを引っかけるようにして2速に入れる動作が筆者にはとても格好良く見え、自分が乗り始めてからはその動作を真似ていたことをよく覚えています。

 

【お別れ】

この車には、兄が次の車である「日産 スカイライン2000RS」を購入した1981年8月まで1年弱の間乗りました。そしてこの車は、スカイライン購入のための“下取り車”として、日産プリンスのディーラーに引き取られて行きました。(12/9/2023) 

 

駐車場で(筆者)

大学の先輩(左)と後輩(中)と

ネットで見つけた同型の中古車