20年目の解放

タイトルの意味するところは、逆に言うと「20年間束縛してきた」ということにもなります。いったい何を20年間も束縛してきたのか…?最後までじっくりお読みいただければ、それをご理解いただけるでしょう。

 

本コーナーの過去の記事には、筆者の自宅の庭にある花のことを話題にしたものがいくつかあります。それらのページの写真を見ていただくと、1つだけ花が咲いていない観葉植物に気づくでしょう。いわゆる「幸福の木」というものです。

 

この木は、平成14(2002)年に担任していた2年生のクラスの学級費で購入したものです。確か、購入当時は高さが30cm位の細くて小さな苗木でした。クラスには世話係がいたのですが、担任係と兼任であったためかあまり面倒をみてくれず、結局は卒業までの2年間は担任である筆者が面倒をみることになりました。

 

卒業するときに生徒の間でこの木の処遇が話題になりましたが、「先生が預かってください」ということになり、半ば押し付けられる形で引き取りました。まあ、筆者が買ってきたものでしたから、生徒としても「先生が勝手に持ち込んだものでしょ」という思いがあったのでしょう。自分の教員生活の中では最も生徒との関係がうまくいっていなかったクラスであったので、それも仕方のないことでした。

 

彼らの卒業後はしばらく英語科準備室に置いておいたのですが、長期休業中に枯らせてしまいそうだったので、ほどなくして自宅に持ち帰りました。しかし、自分の中では楽しくない思い出を思い起こさせるものでもあったので、庭に放ったらかしにしてありました。

 

その後、乾燥や寒さで枯れてしまいそうになったことが何度かありました。しかし、その度に世話をして復活させました。先述したような事情のものだったのに、なぜギリギリのところで枯らせないようにしていたのか…。そこには自分でも説明できないような複雑な気持ちがあったのだと思います。

 

一方で、年々木が大きくなっていったのにもかかわらず、購入した当時の鉢をそのままにしていました。おそらく根は鉢の中でいっぱいになっていたでしょう。耐えられなくなった根が上下から出てきました。さすがにそれを見かねた妻から「鉢を変えないのなら処分した方がいい」と何度も言われました。

 

それでもそれをそのままにしていたのは、単にパンパンになったプラスチック製の鉢を変えるのが大変だということだけではなく、筆者の屈折した気持ちもそうさせていたのだと思います。あまり楽しくない思い出を封じ込めておきたかったのにちがいありません。

 

それが筆者の定年退職で大きく変わりました。ようやく楽しくない思い出を「過去のこと」として受け入れられたようなのです。先日のゴールデン・ウィーク中に、ノコギリとカッターを使って1時間あまりをかけて鉢を壊し、件の木を開放してあげました。そして、縦横それぞれ約1.5倍の大きさの鉢に植え替えてあげました。

 

なんと20年目にしての解放。それは木のことだけではなく、筆者が長い間抱え込んできた暗闇からの開放でもありました。(5/7/2022)